10年後のアチェを訪れて

(文:太田祥歌)

2014年12月26日スマトラ沖地震・津波により甚大な被害を受けたアチェ州の州都バンダ・アチェ。津波から10年が経過した現在、どのような防災への取り組みが行われているでしょうか。実際に現地を訪れ、見聞きしたことをレポートします。

アチェは、インドネシアのスマトラ島北部に位置し、世界最大のイスラム国であるインドネシアの中でも、最も敬虔なイスラム地域であるとして知られています。また、この地域では、70年代後半からインドネシアに対する独立紛争が行われてきました。この独立紛争は、津波の翌年2005年に和平協定の締結に至り、アチェは自治権を拡大し、インドネシアの一州として留まりました。

この約30年に渡り紛争地帯であったということが、津波常襲地域であるにも関わらず、これまでアチェで、防災への取り組みがほとんどされてこなかった要因です。そして、実際に現地に行き、被災者の方からお話を聞いて感じたのは、津波から10年経った現在でも、「紛争」と「宗教」がその後の人々の生活や、防災対策に関連しているということです。

まず、印象的だったのが、人々の津波の捉え方でした。津波は、一瞬にして多くの人の命を奪いますが、紛争は日常的にそこに住む人々の命が脅かされている状態です。そのような状態の中で生活していたアチェの人々にとって、津波は「アッラー(神)によってもたらされたもの」「紛争をリセットしてくれたもの」として捉えられているようで、被災者へのインタビューでもなんどもそのような表現が出てきました。

現在のアチェは、津波が残したものを観光に生かし、後世の防災教育にも役立てようとしています。例えば、津波で流された船も、周辺を公園化し、船内で津波のメカニズムについて学ぶことができるような施設になっています。こうしたアチェでの防災教育の拠点が、2011年5月にオープンした津波博物館です。

この津波博物館でも、展示の至る所でイスラム教との密接なつながりを垣間見ることができました。犠牲者の名前が刻印された部屋では、上から光が差し込む構造になっており、この上からの光がアッラーを表しているそうです。また、津波によって流されたコーランがいくつも展示されていました。非常袋の用意の仕方を示す展示では、持ち出すものの中にコーランも含まれています。

また、宗教との関わりは、被災者の人たちの逃げる時の話にも現れました。アチェの人々の多くは、津波発生時、高台ではなくモスクに逃げたそうです。地震後に津波が来るということを知らず、逃げるのが遅れたというのもありますが、イスラム教の人々は、もし死んでしまうとしたらモスクで死ぬことが幸せであると考えているためだそうです。幸いにも、モスクは、波を逃しやすい内部が空洞となっている作りのものが多いため、周辺の建物が流された地域でも、モスクだけ残り、信仰の象徴となったものがいくつか存在しています。

日本の津波常襲地域では、高台にある神社で難をのがれたという話がよく残されています。アチェでも高台にモスクを作ったらどうかと聞いてみたところ、イスラム教は日に5回お祈りをする習慣があるため、モスクは街中の人が集まるところに作るのが一般的だという答えが返ってきました。しかし、次に津波が起きた時街中にあるモスクがまた波に耐えられるでしょうか。

震災後のアチェでは、各国からの援助で、防災機能を備えらビルが建てられました。津波博物館も、屋上は多くの人が逃げられる避難スペースとなっており、屋上へ迷わず行けるような表示が館内の至る所にあります。こうした機能が備えられる一方で、地元住民にアンケートをとると、次に大きな地震が起こった時も、高台やビルではなくモスクに逃げたいと答える住民が未だ大半を占めるそうです。こうした住民の声を受け、現在ではモスクの高いところに上がりやすくするよう外階段を取り付けるなど、モスク自体の防災機能を強化するような動きも起こっています。

また、滞在中印象的だったのが、現地の人々が津波の話をする際、ほとんどが紛争の歴史に触れてから話し始めるということです。30年の紛争は現地の人々の心に深く刻み込まれています。津波が来たことにより長く続いた紛争が終わったと、一連の歴史の流れとして語られる津波ですが、平和になったアチェにも次の津波はやってくるでしょう。今回の津波の教訓を、時には紛争と切り離して語っていくことが必要になると思います。

こうした中で注目を集めているのが、子守唄による津波の記憶の継承です。アチェに近い島では、地震後に津波が来るので高台に逃げなくてはいけないということが子守唄によって、代々伝えられてきました。一方、紛争が続いていたバンダ・アチェでは、子守唄も強く育とうというようなものが多く、津波に関するものは存在しないとのことでした。島に伝わる子守唄は、言語の違いからすぐにバンダ・アチェに伝えられるものではないのですが、今後バンダ・アチェでも子守唄や物語で津波を経験していない世代にもその記憶を継承していくことが期待されます。